10月5日2007/10/06 07:30

 注文したCDが届いた…のはいいんだけど、そいつをインストールするディスク容量が不足気味。いらんファイルを削除するのに時間かけてしまった。いかんね。普段からチャンと管理してれば…ちなみに、届いたのは音楽CD。ドアホウなシロモノです。ジャンルは色から想像してください。
 
 本日の話題は…少しだけ気合いが乗ったので、温存してたネタである「理想の師弟関係」なるものを語ろうかと。本来は色んな方面に関連する話題だけど、基調は昨日に引き続きこの色でいきます。
 
 現状、私は「師匠筋」の方々多数・「弟子」ゼロだと認識している。弟子についてはともかく、私に「師匠」扱いされることに文句を言ってきそうな人は山ほどいるけど、そこはあくまで「私の認識」ですから。なお、具体的に誰が該当するのかは一応伏せておく。余計な波風立てるつもりはないので(苦笑)。
 
 師匠筋の人間は、当然各方面に存在する。「そんなものいやしない、我こそ最強」と断言できるのは、立ち読みに関してだけ(笑)。競馬・ゲーム・ヲタク・PCといった、ココで扱う主なネタについて、私は権威でも何でもない。世間的にどうこうだけでなく、私の中でそうなっている。よって「偉そうなこと書き散らしてるけど、しょせん…」って意識があるのは否定できないなあ。先日「オチで自分を落とすことが多い」って指摘を受けたけど、その理由はココにあるんだろう。
 
 私がヘタレで、周囲にいる相手が「巨人」だからって、これは必ずしも「師匠として尊敬しなければならない」ことにはならない。世の中とはそーゆーものだ。でも私の場合、原則として「師匠筋」と扱って尊敬することにしている。序列は序列として厳然と存在する以上、キチンと認める方が精神衛生上よろしいので。そういうモノを認めないのは、いかなる理屈があるにせよ「逃げてる」ような気がするんだな。
 
 ただし。これは重要なことだけど、私が言うところの「師匠筋」ってのは、大半が「いつか乗り越えてやる」って野望の対象である。そりゃあ中には「スゴいことはスゴいけど、その分野で勝負しようとは思わない」って人もいるけどさあ。その代表は競馬関係かなあ。私の周囲にいる方々は(私も含めて)相当ブッ飛んでいるので、進む方向が分化しまくっているんだな。そのため、直接的に「乗り越えてやる」って対象になりにくい。総合的に考えた「格」なるものは一応存在するんだけど、これは逆に「競馬以外の要素」、年功序列とかオゴリ・オゴられ関係(経済力が影響する)も含めたものなので、多少アテになりにくい。
 
 師匠ってのは永遠に師匠であり、決して超えられないモノって意見もある。ただ…私に言わせると、この考えは寂しいかな。弟子が師匠を乗り越えない限り、どんどんスケールダウンしてゆくことになるからねえ。あくまで私の考えだけど、弟子は師匠を超えるべく努力する義務があると思うんだな。そうやって乗り越えたって、結局師匠は永遠に師匠である。「何かを教わった」恩は、消えることがないのだから。
 
 私は「不肖の弟子」もいいところであり、師匠を超えたって実感を持ったことは皆無。さらに弟子もいない。よって、「師匠を乗り越えるとは」どんなことなのか語る資格はない…はずなんだけど、ド派手な「師匠越え」を目撃しているからねえ。あの師弟関係を理想としている以上、「やはり弟子たる者、師匠を超えなくては!」って意識が強いんだな。その師弟関係とは、戸山調教師とフジヤマケンザンである。
 
 フジヤマケンザンが香港国際カップ(当時表記)に挑戦した頃は、「日本馬は外国馬にかなわない」が常識だった。正直私もそう思っていたし、何を隠そう、フジヤマケンザンを鍛えた戸山調教師がそう断言している。しかしだ。フジヤマケンザンは香港カップに勝つことによって、「戸山調教師は間違っていた!」と咆吼したのだ。戸山調教師の馬なら、戸山が鍛えた馬ならば世界相手に勝てるんだと。これを成し遂げたからこそ、フジヤマケンザンは偉大なんだと思うな。
 
 この時点で既に戸山調教師はお亡くなりになっていた。それゆえ、戸山調教師がどう思ったのかを知るすべはない。けれど、嬉しかっただろうなと想像することは出来る。自分が鍛えた弟子が自分を乗り越えてくれて。おそらく、師匠と呼ばれる人間にとって最高の醍醐味がコレではないかと。
 
 もっとも、こんなことは簡単に実行できるわけではない。どんなに師匠が優れていても、弟子が駄目ならどーしよーもないからねえ。また、あまり優秀すぎる弟子も「オレを越えて当然」となるので、あの感動はないような気がする。少なくとも「滅多にない」ことじゃないかな。
 
 でも、だからってそれを諦めたらいかん。少なくとも私は諦める権利がない。フジヤマケンザンに「理想の師弟関係とはこういうものだ」ってのを叩き込まれちゃったからね。よって、私は無謀を承知で師匠筋を超えるべく日夜精進しなくてはいけない。実際はヘタレである以上、無理・無駄ではあるんだろうけど。ただまあ、気持ちだけはちゃんと持っておきたい。つーわけで、私の「師匠筋」は首を洗って待っていて欲しい。いつか私が倒しますから(笑)。
 
 ついでに言えば、私は弟子にも同じコトを要求する。私の弟子だと名乗りたいのなら、私を倒すべく向かってきて欲しい。それができなければ、弟子とは認めない。今のところ「打倒F男!」と公言してる存在は知らないので、私には弟子なんていないことになる。こんな私の弟子になろうなんて奴がいるとも思えない上、さらにこんな難しいこと要求してるんじゃ、弟子なんて永遠にできそうもないんだけどね。ま、私も師匠筋から弟子と思われているワケじゃない(勝手にそう思っているだけ)ので、勝手に「師匠」呼ばわりされてる可能性は否定できないけど。そーゆー人には、「目標が低すぎ。その上乗り越えるつもりがないなんて、そんな志の低いこと言ってたら駄目」と言っておこう。
 
 本当はここに書かなかったコトも色々あるんだけど、周囲に公言可能な「私の考える師弟論」ってのはこれに尽きるかな。ああそうだ。最後に1つ言っておこう。私は年齢その他に関係なく「コイツはスゴい」と思ったら、もう私の中では師匠筋ですから。これを読んで他人事みたいな顔してるアナタも、ひょっとすると私のターゲットとしてロックオンされてるかもしれませんよ。つーわけで、とりあえず首を洗っておいてください。何度も言うけど、いずれ私が倒しますから。そうだなあ、20年後ぐらいに?(笑)←やっぱり落としてるなあ。この方がまとめやすいんだよね。