9月11日2007/09/12 00:39

 本日のお題は、あえて「コミックヨシモト廃刊」を語ろうかと。あちこちで語られていることではあるんだろうけど、まあ私なりの視点で語る意味はあるかなと思って。
 
 正直言おう。私はこの雑誌、コンセプトを聞いた段階で駄目だと思っていた。その昔の事例(日刊アスカを覚えている人はいるかな?)からして、そろそろ…と思っていたら、案の定。見た感じ売れてなさそうだったし、パラ読みした感想も「やっぱり…」だったので、まあこんなものでしょ。
 
 ドコが駄目だったのか?この雑誌のコンセプトは、「吉本のお笑い芸人が原作のマンガを掲載した雑誌」である。つまり、芸能人が原作を担当したマンガが中心ってことになる。古くからマンガを読み続けている私に言わせると、これだけ聞けば「かなりの確率で駄目」である。こーゆー人間が原作担当したマンガってのは、大抵面白くないからねえ。
 
 どうして面白くないのか?当たり前だけど、「お笑い芸人」ってのはマンガ原作のプロではない。他分野の経歴その他が何であれ、マンガ原作に関してはシロートである。しょせんシロートが作ったモノである以上、正直言って期待できないのは当然だ。
 
 シロートでもいい作品を作れるかもしれないじゃないかって?そりゃあ確かに。自慢じゃないけど、私はそーゆー作品読むのは嫌いじゃない。マンガ雑誌の増刊・別冊(投稿作品とか新人の習作が多い)を好み、さらに同人誌即売会にまで出入りしている(グッズ漁り中心だけど)私だ。そんなことはわかっている。ただ、それだけに「シロウトに毛が生えたレベル」ゆえの限界ってものは良く知っているんだよ。
 
 仮に「素人が原作担当したマンガの雑誌」ってものを創刊したとしよう。これならそこそこ面白いモノを作れるかも知れない。「使えない」原作はボツにして、使えそうなモノだけ作品にすればいいんだから。けど、原作者のネームバリューがどうこう…って時にはこの手が使えない。「そこそこ名前の通った吉本のお笑い芸人」ってのがどれくらいいるのか知らないけど、漫画家予備軍(自動的に漫画原作作家予備軍になりうる)全てに比べれば数は少ない。そこから面白いモノを抜き出せと言われてもねえ。
 
 でも、お笑い芸人ってのは面白いんだから、面白いモノを書けるんじゃ…と思ったら大間違い。確かに一般人とは色々違うモノを持ってはいる。それゆえに、面白いモノを書ける可能性は、ごく普通の人より少し高いと言ってもいい。けど、しょせん「少し」である。母集団の数が少ない以上、「焼け石に水」ってレベルだろうね。
 
 さらに言うなら、お笑いとマンガでは「空気の作り方」が違う。お笑いってのは、客の「この芸人は笑わせてくれそうだ」って期待がないと相当厳しい。そういう空気の作り方も芸のうちだ。けど、マンガ原作ではこれは通用しない。マンガも「笑わせてくれそうだ」って読者の期待が必要ではあるけど、それは絵で表現しなくてはいけない。作画は別の人が担当する以上、「笑わせる空気作り」って能力は全く通用しないのだ。
 
 そもそも、お笑いとマンガは面白さの質が違う。お笑いってのは「ギャグ」であり、マンガの主流は「コメディ」(異論はあるだろうけど)だ。ギャグとコメディの違いってのは…語ると止まらないのでパス。もちろんギャグマンガってのはあるけれど、実はかなりの希少種でしょ。絶滅危惧種扱いしてもいいかも。「良質のギャグストーリーマンガ」なんて、なかなか見ないからなあ。私は「やっぱり『ろまんが』(「うまんが」後継。わかる奴にはこれだけでわかる。作者新井理恵)サイコー!」ってだけで雑誌を1つ買ってるくらいだ。
 
 とまあ、私に言わせると「厳しいのはわかりきってる」雑誌だったコミックヨシモト。ここで終わるのがフツーだろう。しかし、私はそれじゃ面白くない。私が興味を持ったのはむしろ別の点である。すなわち、「何でこんな企画がまかり通ったのか」だ。
 
 私は別にヲタク道評論家ではない。有識者(苦笑)の某氏には毎回厳しいツッコミを受けている有様だ。そんな私に「駄目だろう」と言われてしまうようなモノに、よく天下の吉本がカネ出す気になったなあ…ってのが、正直な意見である。何で誰も何も言わなかったんだ?
 
 これは私の想像…というか妄想だけど、その原因は「島田洋七」ではないかと。「がばいばあちゃん」である。これがウケたことが、吉本興業に「コミックヨシモト」創刊に踏み切らせた理由ではないかなあ。
 
 私は細かいこと知らないけれど、「がばい~」はそれなりにウケた。ゼニになった。このゼニが吉本興業と何らかのトラブルを引き起こしたらしい…ってのは結構有名である。芸能界には疎い私が知ってるくらいだし。これで吉本興業は考えたんだと思う。「他にもこんな奴がいるかも知れない」と。そこを逃さずに自分達もオイシク金儲け…ってもくろみがあったのでは。
 
 いや、むしろ吉本興行にあったのは「恐怖」かもしれない。自分達が育てた芸人が、その知名度を活かして出版の世界で活躍したらどうしよう、それは困る…って感情だ。色んな意味でコントロールが効かなくなったら困るどころの話じゃないし、示しがつかなくなるからタガも緩む。だったらせめて自分の所で出版してもらい、カネの動きを自分達で押さえようと思ったんじゃないかと。この理屈に従うと、コミックヨシモトが駄目だったってことは、「第二の島田洋七はいなかった。少なくとも当分出てこない」ってことを確認できたわけで、吉本興業としては悪くない取引だったと言えそうな気がする。
 
 そう考えないと、いくら何でもコンビニで普遍的に見かけた隔週マンガ雑誌が「たった7号で廃刊」って理由がわからない。吉本興業の売り上げから考えれば微々たるモノかもしれないけど、これだけの雑誌を創刊するのにかかったカネは相当なモノだろうからねえ。廃刊にしたって、コンビニ側からはイヤミの1つも言われたんじゃないかなあ。いくら競合誌(あくまで発売日がだけど)が「漫画アクション」しかない第1・3火曜日とはいえ。だからって吉本興業の屋台骨が歪むとは思えないけど、つきあわされたワニブックスはじめ、社会全体に生じた損失は決して小さくないような…
 
 こうなると哀れなのは、漫画家や編集である。あの吉本興業が…っていう期待はあったはずなのに、これじゃあねえ。おそらく単行本も出せないだろうし。面白いモノを作れなかった直接的な責任者ではあるんだろうけど、「このコンセプトで他にどうしろと!」って思いはあるんじゃないかな。私はヲタクであり、お笑いはあまり好きではない。それだけに、今回の騒動のおかげで吉本興業を見る目が冷たくなった気がするね。7号で止めるんなら、隔週のマンガ雑誌なんて作るなよ。その程度の思い入れしかないような奴が本作ったって、どうにかなる世界だとでも思ったか?