9月10日2007/09/11 03:13

 色々あって予想以上に更新不能が続いた。ちょっと目が疲れる作業すると、更新作業するのも大変だからなあ。
 
 色々書きたいことはあるんだけど、某氏からしつこく「自衛隊ネタは赤ではない」と指摘を受けたので、正真正銘の赤ネタで。お題は…お詫びってコトで「戦国時代のゲーム」としておこうか。
 
 シミュレイションゲームは「戦争」を題材としている。コレに関する是非はさておき、日本人なら「太平洋戦争」とか「戦国時代」がメジャーテーマであり、コレを扱ったゲームなら…と考えがち。しかしだなあ。諸般の事情から、なかなか面白いゲームになりにくいネタだったりするんだよね。
 
 太平洋戦争の方は話が単純。フネが主役のゲームってのは、独特の難しさがあるから。主な戦場が海に浮かぶ島周辺になるから、どうしたってフネが主役になるんだけど、フネがデカい顔してるゲームは色々と難しい面が…この辺については、私が細かく語っても仕方がないのでパス。なお、この「難しさ」を(少なくともある程度)解決したゲームがそれなりにあって、熱心なフリークがいるのも事実であると言っておこう。
 
 戦国時代の方は、フネが主役ってワケじゃない(当たり前だ)。いくらでも面白いゲームが作れそうな気がする。けど…実際は色々と問題があるんだよなあ。実は色々と工夫されていて数は出ているんだけど、何かしら問題を抱えているモノが多い。
 
 どの辺が難しいのか?1つ実例を出そう。長篠の合戦。織田・徳川連合軍が武田騎馬軍団を叩き伏せた合戦。シロートでも知っていそうな、メジャーな戦いだ。けど、かなり露骨にゲームには向いていない。何でそうなるのか。「一般的な」理屈を簡潔に言えばこうなる。「突っ込めば鉄砲隊に痛い目に遭わされるのがわかっていて、何で武田軍は突っ込まなきゃイケナイのか」。
 
 長篠の戦いの場合、はっきり言って「結論」は出ている。馬防柵の後ろで鉄砲持って待ちかまえている織田・徳川連合軍に「突っ込まなきゃイケナイ」って時点で、武田家の負けだ。勝てるようなら、そりゃあウソ臭い。せいぜい「雨が降ったから鉄砲の威力弱まりました」って状況にしてしまうくらいだけど、それは「長篠の合戦」じゃない。
 
 もちろん、勝利条件などで武田方に「ダメモトでとにかく突っ込め」って命令することはできる。ただ…「それがいいんだ」などと考える奴は少数派だろう。まあ、「鉄砲恐れて何もしないと勝てない」ってのはいいとしよう。しかし、選択肢が「じっとしてて負けるか、突っ込んで負けるか」しかないってのは、何かが違う。
 
 実のところ、戦国時代のゲームが「難しい」真の理由はココにある。武田側が「留まっていたら駄目、突っ込んでも駄目」って結論を出したとしよう。じゃあどうすればいいのか?その解答はない。「どちらかしか選べない」って意味での「ない」ってワケじゃない。「武田方に他の選択肢はなかったのか?」って発想がないのだ。だって、資料にそんなことドコにも書いてないから。ヒントすらロクにない。
 
 何でそうなるのか?おそらくは日本人の国民性である。日本人は「強いから勝つ、弱いから負ける」って考えが強い。「何でコイツは強いのか」「どこが駄目だったのか」ってことを深く考えない傾向があると思うんだな。権威主義的な考えが強いからねえ。いや、それだけじゃない。権威主義的な奴なんてのは世界全体で一般的(特に昔は)だ。もっと影響が大きそうなのは、「勝因」だの「敗因」だのを追求してゆくと、「手柄と責任」って問題にブチあたるから、である。
 
 日本人は勝ったときによく言う。「皆さんのおかげです」と。これはこれで美徳だ。しかし、この発言によって「何故うまくいったのか」って原因、つまり手柄のありかがわかりにくくなっているのも事実じゃないか?この辺を明確にしようっていう発想に乏しいのだ。なお日本人が「無責任だ」って言われるのは、結果が出る前に「勝てばオレの手柄、負ければオレの責任」ってのを明確にしようって発想がないからではないかと。
 
 長篠の戦いの場合、「勝因は鉄砲隊」ってのが一般的な理解だろう。しかし、私に言わせると「その段階に留まっているようじゃ駄目」である。何故武田騎馬軍団は鉄砲に向かって突っ込んできたのか?もし突っ込んでこなかったら織田・徳川はどんな手を打ったのか?その時予想される戦果は「武田が鉄砲に突っ込んできた」時より大きいのか小さいのか?本当なら、そこまで明確にすべきだ。しかし、歴史書を残した当時の人間に、そんな発想はない。「西欧文明に毒された」はずの今の日本人にすらないものを、当時の日本人に求めても無駄でしょ。
 
 EP/SSの「関ヶ原」が良いゲームだと言われているのは、実はこの辺がうまく盛り込めているからではないかと。裏切ったのは何故?調略がうまくいかなかったからである。野戦で負けたのは何故?連携が取れなかったからである。そこを読み取り、「じゃあどうすれば良かったのか」って答えを出すのは簡単ではないけど、「工夫する余地」がそこにあるのは間違いない。そーゆーゲームでないかな。
 
 関ヶ原の戦いだと、どうしてうまく盛り込めるのか?実は、この戦いは「責任のありかが明確」だからではないかと。それぞれ事情は異なるけど、東軍は徳川家康が、西軍は石田三成が「勝てばオレの手柄、負けたらオレの責任」ってのを明確にしているからね。
 
 家康の場合、「勝てばオレの手柄」って部分にウエイトがある。自分の天下にしようって意図があったからねえ。三成の場合は逆に「負ければオレの責任」って部分にウエイトがある。周囲にやる気がないので、自分が積極的に周囲を引っ張る必要があるので。その割には「小早川の裏切りで勝負が決まった」ワケだけど、これは「あんな奴を信用したオレが悪い、あそこまでバカとは思わなかった」と割り切れる三成はともかく、家康にしてみれば「勝つには勝ったけど、オイシイところ持ってかれた…」って思いが強いのでは。もっとも、「裏切らせたのはオレのおかげ」と言えるので、豊臣恩顧の福島やら黒田やらが三成の首獲って「家康?何もしてないじゃん」って展開よりはマシだったと思うけど。
 
 ただし…EP/SS「関ヶ原」は良く出来ているけど、「盛り込みすぎで重たい」のも事実。結果として「関ヶ原専用の」システムになってしまっている。調略をバッサリ切って他の戦いに応用したら…って意見が出ても不思議はないと思うんだけど、とりあえずそんな主張は聞いたことがない。言ったことはあるけど(笑)。これは「調略を抜いたら、ゲームとしてつまらない」からではないと思うな。
 
 関ヶ原の戦いの場合、西軍だけでなく東軍も「雑多な寄せ集め」であり、各自自分勝手なことを考えながら「とりあえず敵が同じだから」一緒に戦っているだけ…だったりする。それゆえ、「あいつはやる気がある、あいつはやる気ゼロ」ってことを明確にしやすい。しかし、他の戦いではこの図式が通用しない。いや本当はそーゆーことは山ほどあるんだろうけど、後世の我々から見て「こうだったんだろうなあ」ってイメージが湧くような資料がない。みんな身内なので、「皆さんよく頑張りました、皆さんのおかげです」ってことになってしまうんだな。それだと関ヶ原システムは応用しにくいような。
 
 ただ…「本当に応用できないのか」って考えてゆくと、そんなことはなさそうな気もする。豊臣秀吉が織田信長の後継者にのし上がった戦い、すなわち山崎(対明智)、賤ヶ岳(対柴田)、小牧長久手(対徳川)あたりは、あのシステムの応用でゲームが作れるんじゃないかぁ?関ヶ原ほど面白くならなくても、「調略がない分簡単で取っつきやすく、関ヶ原への入門ゲームになりうる」ものに仕上がれば、それはそれで価値が高いと思うんだけど…
 
 とはいえ、こーゆーアイデアを出すのと、実際にゲームにするのとは全く別問題。少なくとも私にそんな才能はなさそうだ。「とにかく何でも盛り込んである」ゲームなので、形にするのがすごーく大変そうなんだよな。そう考えると、「別のシステムを使った方が」と考える方が正しいような。うーむ、そんなんじゃイケナイような気もするんだけどなあ。ま、とりあえず本来私に偉そうなことを言う資格がないのは間違いない。
 
 聞いたトコロによると、つい最近「日本史ゲームを見直そう」って秘密結社?が結成されたらしい。私は構成員ではないので「どういう活動を行ってゆくつもりなのか」は良く知らないけど。ただ、このテーマのゲームが見直されれば、ゲーム業界に大きなプラスになりそうだってのはわかる。そんなわけで「援護射撃」の意味を込めて語ってみました。た・だ・し、私は別にこの結社の一員になった覚えはありませんよ?私より先に勧誘すべき人が山ほどいるんじゃないかなあ。あえて名前は出さないけど(笑)。