9月2日2007/09/03 02:42

 色んなところで評判の良かった「『世界征服』は可能か?」(岡田斗司夫著、ちくまプリマー新書)を買って読みました。実は以前に立ち読み済みだったりするんだけど(苦笑)、激しくツッコむからには買わないと。作者の傾向?に敬意を表して、あえて色はコレです。
 
 内容は、漫画やアニメ・特撮などに出てくる「世界征服」を分析しつつ、「世界征服に必要なモノは」「征服した後どうなるか」ってなものを論じている。馬鹿馬鹿しいと言えば馬鹿馬鹿しいけど、内容はそれなりに真面目。世界征服なんて馬鹿馬鹿しい…と思っている人にこそ読んでもらいたいね。
 
 世界征服なんて、労多くして実入りが少ない。こんなことはわかりやすいことだけど、どう「労多くして」、どう「実入り少ない」のかを真正面から考える奴は滅多にいない。せいぜい「労多くして」の部分(一番わかりやすい)だけ浅く考えて「無理だ」って結論を下し、その後は深く考えない…ってレベルじゃなかろーか。
 
 実を言えば、この考えは危険でもある。「ある日気がついたら、世界は征服されていた」って事態を迎えかねないのだ。世界征服は大変だ。少なくとも簡単にできるモノじゃない。そこはいい。しかし、誰かがその条件をクリアしちゃったら?一般的に言って、征服されてから文句を言っても遅い。その前に征服を阻止する方が手っ取り早いはずだ。そう考えると、世界征服について考えるのは決して無駄ってワケでもない。ま、おそらく役に立たないことは認めるけど。
 
 著者はヲタク世界じゃかなりの有名人であり、世界征服についての分析はかなりのものである。ま、しょせんベースが漫画・アニメ・特撮レベルではあるけど。ただ、現実に「世界征服」なんて言い出してる奴はほとんどいない以上、この辺から入るのは間違ってはいないと思う。特に「バビル二世」の敵役ヨミに関する分析は秀逸だと思うな。
 
 ちなみにこのヨミ様、漫画の上では「敵役」であり「悪」であるけど、ホントの意味で悪なのかと言われるとビミョーである。彼が悪なら、織田信長やカエサル(シーザー)だって立派な悪になる。伝統的に「敵役」だけど、単純な「悪」ではないって意味では「三国志演義」の曹操と同じような…ううむ、さすが横山光輝。「横山三国志」が面白いのも道理だ(笑)。
 
 閑話休題。この本は良くできているけど、一応「大事なヌケ」が存在する。ま、こういうテーマを論じる人間が少ない以上、どうしたってそういうものが出てくるのは仕方ないんだけど。私の目から見ると、世界征服の動機として「ヒマ潰し」を挙げてないのは気になるし、世界を征服した後やるべきことに「部下の粛正」が入ってないのは問題かなと。
 
 世界征服が「ヒマ潰し」ってのはどうなのよ…と思うかも知れないけど、実は結構現実的な動機である。いわゆる「愉快犯」の一種だね。実際にはここまでスケールの大きいバカはいない…と言いたいところだけど、インターネットの根幹部分や国家機密に対してアタックをかけてるハッカーは、ある種「ヒマ潰しとしての世界征服(ただしネットだけ)」に乗り出してると言えるかも。
 
 こういう連中は、ある意味では始末に負えない。世界征服ってのは「征服した後にどんな世界を打ち立てるのか」が重要だったりするけれど、そんなビジョンはあまり考えてない。ただ単に世界を混乱させ、うろたえる様を観てればそれでOKだから。厳密な意味では世界征服をたくらんでるとは言い難い(征服後のビジョンなき征服行動は賛同者が得られにくいので、どうしてもスケールが小さくなる)けど、迷惑度は似たり寄ったり。
 
 先に書いたように、こういう連中は「社会がうろたえている様を観ていればOK」って存在に過ぎないので、ある意味世界征服をたくらむ輩と同列には出来ないでしょ。もっと志の低い、一般犯罪者の拡大版としてとらえるべきかも。ただ、世界征服を語ろうと思ったら、やはり触れておいた方がいいと思う。何故か?色々志を持った組織でも、つい「世間を混乱させるだけで、実は自分達の得るモノが少ない」作戦を実行しちゃうことがあるから。オウムの地下鉄サリンテロだって、「あれで上手く逃げおおせたとして、教団にどんな利益があったのか」を考えると、典型的な「ハイリスク・ローリターン」な作戦だ。こういう作戦を好んでやる(というか、それしかやらない)存在を語ることによって、「志があるのなら、こういう作戦は駄目だ」ってコトをより強調できたんでないかな。
 
 もう1つ書いてないのが、世界征服後の「部下の粛正」。これは是非キチンと書いて欲しかった。征服者にそのつもりが無くても、大抵結果的にやらざるを得ないことだし。「世界征服が成功した暁の暗黒面」筆頭だけど、だからこそ触れる価値があったと思うので。
 
 手段・目的を問わず、とにかく世界を征服したとしよう。素晴らしい。今まで苦労をかけた部下にも報いてあげたい…と考える「人情型征服者」であっても、粛正と無縁ってコトは考えにくい。何故か?「征服するとき」に有能な奴ってのは、「征服した後」では無能で邪魔…どころか、「有害で排除する必要がある」奴ってことが多いのだ。
 
 言うまでもなく、世界征服ってのは大変だ。色んな意味で「戦い続ける」必要があるし、古い秩序を破壊する必要がある。そのために必要な奴ってのは、結局「戦うのが上手い奴」「破壊が得意な奴」である。これはいい。しかし、新秩序を打ち立てて世界を征服した後では、こんな連中は不要である。もう戦う必要なんて無いし、破壊されるのは「征服者の秩序」なんだから。はっきり言って邪魔なだけである。
 
 邪魔なだけならまだいい。こういう連中は征服過程では厚遇される。必要だから。しかし、征服が完了するとその才能を発揮する場がないので、結果として待遇が悪くなる。そこで「今は世界征服できたんだから」と大人しく冷遇に甘んじてくれる奴はそういない。不満をため込み、征服した後で必要な才能を持ってる奴を妬み、あげく反乱起こしたり敵に回ったり…とロクなことしない。しかも、そのくせ「自分がやってることは、征服者のためなんだ」などと本気で思っていたりするから始末に負えない。
 
 結果として、征服者にそのつもりが無くても、一部の部下は始末されることになる。反乱起こされてから退治するのか、反乱される前に粛正するのかは別としてもだ。これに失敗した好例が豊臣政権だろう。福島正則・加藤清正といった「天下を統一する時には役だった連中」を始末する前に秀吉が死んでしまったので、石田三成のような「平和なときには役に立つ連中」と揉めたあげく徳川家康と仲良くなり、豊臣家を滅ぼすことに手を貸す有様。しかも、そこまでやった結果が「家康に邪魔者だと目を付けられ、お家取り潰し」である。「狡兎死シテ走狗煮ラル」ってのは、支配者にしてみれば必要不可欠なのだ。
 
 ただ…この手の粛正は、実に難しいことである。やり過ぎると部下の離反を招いたり、「とにかく何でもかんでも粛正される」社会になったりする。かといって手を抜けば反乱の嵐。「天下統一したのは良いけれど、ちっとも世の中安定しない」なんて悲劇は、世界中の歴史に転がっている。漫画やアニメでは描く必要が薄い分野(そもそも悪の組織が世界征服に成功なんてしない)だけど、それだけにキッチリ説明して欲しかったかな。
 
 なお、識者から見れば「ローマ帝国とアメリカ合衆国に対する歴史認識」とか「南北戦争の経緯」とか「階級社会のありよう」なんて部分にも山ほどツッコミが入ると思う。けど、これは「この本なりの結論を導くために、少し乱暴に題材を扱っている」って程度であり、新書では普遍的に見られるコトではないかな。よってココでは深く突っ込まない。
 
 ちなみに、この本の結論部分では「古典的な悪の組織による世界征服なんてモノは、現代社会では現実味がない」という結論になっている。何故そうなのかは各自本書を読んで確認してもらいたい。しかし、少し見方を変え、なおかつジャンルを絞れば、今なお「正義に刃向かい、世界征服をたくらむ悪の組織」ってのは存在していると思う。その典型例が世界競馬界におけるゴドルフィングループだと思うんだけど、どうかな(笑)。
 
 つーわけで、また後日「なぜゴドルフィンは悪なのか」をみっちり語ろうかと。なお、わかる人はわかっていると思うけど、私は大のゴドルフィン信者です。悪の手先ってワケだ。素晴らしい(笑)。他にも「私の考える世界征服論」なども語りたいので、このネタはしばらく引きずると思って欲しい。だからこそいちいち買って手元に置いておきたくなったんだよ。面白い本ってのは、単に「読んでみた、面白かった」だけじゃなく、自分なりに話をふくらませないともったいないと思うね。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://fohpl.asablo.jp/blog/2007/09/03/1766681/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。