5月29日 ― 2007/05/30 01:47
昨日は何となくダウン。日曜のヤケ酒が効いたか。ウォッカにあれだけ走られた上、アサクサキングスに「別の馬がやるはずだった」戦法を決められ、フサイチホウオーが吹っ飛び、トドメに危惧したとおりにバ勝春の出遅れ…これでオレにどうしろと。
つーわけで?本日の話題は「投了について」語ってみようかと。もう駄目だ!と思った時、どう行動するのか…色んな意味で重要ですね。ま、一番関連の深そうなこの色にしてみましたが。
若かりし頃は色々言われたけど、今の私は割合「普通のタイミングで」投了する…んじゃないかな。最近は「投了が早い」とも、逆に「悪粘りする」とも言われないし。先日ディプロマシーで「絶望的な状況でもゲームを投げ出さない」ってワザを見せたけど、あれぐらいは普通でしょ。一応は生存できる保障があったんだから。ちなみに、別に他国の言葉を信じたワケではない。当時の我が国はどこか1国が完全占領するのは難しかったので、「しばらくは活かしてコキ使う方を選択するはず」って読みがあっただけ。もっとも、こちらが土下座する前にそーゆー話が出たのは助かった(土下座しなくて済んだからではなく、ドサクサ紛れにハッタリかます余地ができたから)けど。
ただまあ、私は地味に?「後先考えず突撃する」傾向がある。「良いプレイをして、結果として勝ちが転がり込んでくる」ってことを狙うのではなく、つい「ダイレクトに勝ちを決めに行く」プレイに走ってしまうんだな。その関係上、どっちかと言えば「粘りのない」方なのかも。そのため、粘り強いプレイをする人を見てると「色々違うなあ、見習わないといけないんだけど…」と感じることもあります。ま、これぐらいはありがちな話かな。
私が若かりし頃色々言われたのは、経験の浅さもあるけど、「他人の投了タイミングを気にしない」傾向があったからかもしれない。これは今でもそう。自分と無関係なところで勝敗が決しうるマルチの場合は、さすがに「もう少し粘ってくれ…」と感じることはあるけど、真に悪いのは仕掛けが遅れた自分である。タイマンの場合は相手の自滅も「直接的に自分の利益」なんだから、たとえ「ワゴンが壊された瞬間に投了」(注:「タクテクス」初期の名物連載「パンツァーブリッツ ユニット紹介」に「相手と絶交したい方法」として紹介された、この上もなく些細な理由での投了)されたとしても、あんまり気にしないかも。逆に勝敗が決してるのに延々付き合わされてもあまり気にしない。まあ場合によると「最初からやり直した方が良くない?」とは言うけどね。
今の私が投了の目安にしているのは、やはり「勝ちが見えるかどうか」である。これは引き分けとか「気分の上での勝ち」も含まれる。ただ、根が結構楽観主義者なので、多少の不利でも「まだイケるかも」と考える傾向はある。単に展開が読めてないだけって話はあるけどね。この辺は普通の人と変わらない…んじゃないかな。
とはいえ、昔に比べれば多少「負けっぷり」も気にするようになった。これは、性格的な変化より単に多少技量が上がり、「劣勢のままズルズル負ける」のではなく、多少逆転するテクニックを覚えたからではないかなあ。「もう駄目だ!」と安易に絶望したり、「まだ何かある!」と無駄なこと繰り返すのではなく、「ひょっとしたら逆転が…」って希望を見出すことができるようになったからね。
私が考えるところの「良い負けっぷり」は、なるべく相手に「逆転されるんじゃ…」って不安を与え続けることである。ま、私はドーンと突撃しちゃうことを選びがちなので、あっさり「すみません、負けました」ってなることが多いけど。個人的には「決断先送りにして状況をどんどん悪化させ、どーしよーもなくなってから投了」するのは好きじゃない。とりあえず相手を苦しめないと…って思いはありますね。
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