12月21日2006/12/22 01:33

 ちっとも風邪が良くならない。でも、更新はしないとね。有馬記念近いんだし。けど、この話題は後日ってコトで。
 
 本日の話題は、今更ながらWinny裁判について。実はこの裁判、本筋と無関係な部分が結構面白いと思ったので。取り上げるのに時間がかかったのは、そりゃもう私がヘッポコだからである。「なんちゃって法学部卒」じゃ駄目だな(笑)。
 
 Winny裁判とは?簡単に言うと、「ファイル交換ソフト」を使った、著作権法違反絡みの裁判である。ま、簡単に言えばこのソフト使うと、「違法コピー」したファイルのやり取りが簡単にできちゃう。ここで問題にするのは、「このソフトの制作者は、果たして刑事罰に値するのか」って裁判だ。
 
 結論から言うと、第一審の判決は罰金刑と軽めながら有罪。ただ、制作者側は徹底抗戦するつもりらしい。会見開いてそう広言していた。ま、支持者は多いらしいので、簡単には引き下がれないでしょ。
 
 これだけなら、「ふ~ん」で片付けて終わり。むしろ面白いのは、こういう「本筋」とは外れたトコロにある。実はこの裁判、2つの点が興味深い。1つめは、裁判の争点と被告である制作者の主張が全くかみ合ってないところ。もう1つは、そこから推測できる「制作者の真の意図」である。この2つを語っておくことは、「裁判ってモノ」を知る上で役に立つんじゃないかな。
 
 制作者側は「ソフト開発に善も悪もない」「悪用されたのが罪なら、売った包丁で人殺しても罪なのか」って主張をしている。ま、言いたいことはわかる。ただ、裁判所がこういった主張を認めてくれなかったから…ってのは、残念ながらちょっと違う。判決全文読んでないので断言はできないけど、裁判所はかなりの程度制作者の言い分を認めている気がするぐらいだ。
 
 じゃあ何で有罪なのか?これは「幇助」って概念の問題になる。広い意味での幇助ってのは「手助け」のことであり、これは実は幅広く成立するってのが有力な考えなのだ。実は、人殺しに包丁売った場合、通常それだけで幇助は成立しちゃうのである。「誰の行為・行動が、どんな結果に至ったのか」を見てゆく(裁判の基本の1つ)と、むしろ当たり前の考えである。
 
 ただ、フツーはだからって罪にはならない。それは何故かと言えば…まあ、簡単に言えば「広い意味での幇助=罪」だとは誰も言ってないから。とはいえ、どの段階までが「問題なし」で、どうすれば「問題になる」のかは…学説ってモノが山ほどあって、そのどれもがもっともらしく聞こえる。法解釈ってのはそーゆーものだからね。
 
 Winny裁判の場合、本当の争点は「幇助という概念」についてである。少なくとも裁判所はそう考えているんじゃないかな。だからもし本気で「オレは無罪だ!」と主張したいんなら、この辺を崩す必要がある。幇助なんて幅広い犯罪に成立する概念だから、刑法の学者なら喜んで延々と語ってくれるんじゃないかな。
 
 ただ、こーゆーことは明らかに一般受けしない。「幇助犯の成立要件」なるものを蕩々と語られて喜ぶのは、マトモに法律を学んだ奴(私は含まれない)だけでしょ。被告となった制作者は弁護士から色々説明されたはずだけど、どこまで理解してたかは不明。世の中なんてそんなものよ。この辺が、私が裁判員制度なるものに信念として反対してる理由だったりする。
 
 閑話休題。とりあえず会見の内容から判断すると、制作者は裁判所の「論点」をあまり理解していない。ただ、これは「故意にそーゆー主張をした」んでないか?と思われる。その方が支援してくれる支持者にわかりやすいってのがあるし、そもそも無罪になりたいのかも疑問だったりするからだ。
 
 この辺が注目点その2である。この裁判、形式上は「有罪か、無罪か」を争っている。けど、おそらく制作者はそこに重点を置いてないのでは?もし仮に制作者の狙いがより大きなモノにあるなら、「無茶を承知で無罪を主張しまくり、徹底抗戦する」ことにより得られるモノがあるから。
 
 徹底抗戦して得られるモノ?まあ、弁護士はわかる。負けても手数料もらえるし、知名度上がるから。でも、フツー被告はそんなこと考えない。裁判の争点が被告にとってわかりにくい部分にかかっているのなら、「無罪を勝ち取れるかどうか」だけが関心であり、せいぜいが「腹いせ」って程度でしょ。けど、実は裁判ってのは「そこで勝つか負けるか」だけが目的とは限らない。
 
 じゃあ、何が狙いか。おそらくは「著作権を基本としたビジネスモデル」なるものの崩壊でしょ。これを崩そうと思ったら、裁判って形でスポットライト浴びるのは多いに意味があるからねえ。話題になり、議論され、一般人がぼんやりと「正しい」と思ってる考えに揺さぶりをかける…ってのは重要でしょ。
 
 現状では著作権ってモノが認められていて、出版社だの何だのはそれでメシ食っている。もちろん作者も言うに及ばず。けれど、このシステムが今の時代に即しているのかは、確かに少し考えてみる余地があるのでは。こういう「供給サイド」は独占状態とみなすこともできるので、プレミアムはかなり多く取れるからね。そこに不満を持つ層が山ほどいるってのはわかる。
 
 けど、現状ではこのシステムは正しいと認めている。法律も、現実の市場も、おそらくは一般常識も。「別のシステムを使った方が、実は世のため人のためじゃねえか?」と思っても、通常の手段じゃ対抗しようがない。そんな時どうするか?もちろん一番手っ取り早いのは、単に法を無視する。摘発されなきゃ一応勝ちだ。けど、まあどう考えたっていつか誰かが摘発されるでしょ。そこで登場するのが、裁判である。嬉しいことに?摘発されたら自動的に利用できる。
 
 裁判ってのは、基本的には「理屈のぶつけ合い」である。権威を使った押しつけと無縁ってコトはないけど、「上司偉いからシロでもクロになる」ってことは案外少ない。それだけに、「オカシイのはオレじゃなくて法律、いや世間とやらだ!」って主張をしやすい場でもある。世の中を大規模に変えようと思ったら、裁判を利用して「言いたいこと言いまくって、それを世間様に報道してもらう」のは一考に値する。Winnyの制作者は、実のところこの辺がホンネかも…って気がするのは事実だね。
 
 私は広告宣伝ってモノが基本的に嫌いなので、今の著作権ビジネスモデルを崩すのは反対である。これを崩されたら、結局広告宣伝を利用してゼニに替えるってモデルになりそうなので。それでも、そういう考えがあるのはわかる。だからWinny制作者の「真の意図とおぼしきモノ」は気にくわないけど、それでもこれが「1つの手」であることは認めるしかない。裁判ウォッチングってのは、実はココまで邪推?して初めて面白さがわかるんだと思うな。
 
 しかしだなあ…私は一応法学部崩れであり、著作権支持者だ。なので、Winnyの制作者には本気で無罪目指してもらって、「幇助の概念が問題でして、裁判所はこのような論理を展開しましたが、私が考えるに…」ってことをひたすら語りまくる会見をやってくれた方がむしろ有り難かったのは事実だね。多分理解できないけど、共感はできる。ま、控訴・上告しようと思ったらこの辺の理屈を振りかざさないと相手してくれないはずなので、結果としては色々と楽しめそうではあるんだけど。とにかく頑張って最高裁まで行って欲しいな。ま、Winny制作者はこんな理由で応援されても嬉しくなさそうだけど(笑)。