11月8日2006/11/09 02:39

 久々に堅い堅い話。統計学について。とはいえ、私が語れるレベルに過ぎないので、誰でも「ついて行ける」とは思うけど。
 
 私は「新書」はあまり信用しないことにしてる。内容にかかわらず。新書ってのは、難しい内容のモノを読みやすく書いていることが多く、その意味では無価値じゃない。だけど、欠陥もあると思うので。
 
 新書の欠陥とは?私が思うに、大半の新書は「読みやすく」を重視するあまり、説明を端折っているケースが多い。これはこれでわかりやすいんだけど、私のようにヒネた人間からは、「ちょっと検討が足りないぜ」となる。その際たるものが、統計データの扱い方だ。
 
 統計データってのは、結局のトコロ単なる数字である。そこから結論を導くのは大切なことだけど、やり方を間違えると正反対の結果さえ導ける。意地悪くつついて、他のデータや実験と比較して、やっと信用できるに足る結論が出せる…ってなものだ。なのに新書の場合、結論を急ぐあまり検証が甘くなることが多い。完璧な文系人間である、私に反論可能なレベルで。そりゃあいかんだろ。
 
 本日ふと手に取ったのは、「人はなぜ危険に近づくのか」(広瀬弘忠 講談社α新書)という新書。ここに出てくる統計データは、ちょっとスゴかった。いきなり「今日のネタにするため反芻したいから、読むの止めた」ってくらい。よって、簡単に紹介しよう。
 
 私がカンドーしたのは、「踏切事故被害者の60%が男性で、40%が女性」という統計データから、「男の方が危険を冒しやすい傾向がある」って結論を導き出したことだ。一見正しそうに見える。正直、結論部分は私も賛成だ。でも、この統計データだけではこの結論は導けない。導いちゃイケナイ。
 
 なんでそうなるのか?わかりやすくするため、否定的な思考実験をしてみよう。100人に「あえて踏切を無視しろ」って実験を依頼したとする。うち10人が「本当だったら事故に遭っていた」と判定され、内訳は男性6人女性4人だったとする。一見すると男性の方が事故に遭いやすいように見える。しかし、参加者の内訳が「男性60人、女性40人」だったら?事故率は同じってコトになる。
 
 別の実験を考えてみよう。電車の運転手の事故回避率を調べるため、同じ運転手の前で男女50人ずつをランダムに踏み切り無視させたとする。その結果、比較的派手な格好をしてる女性の方が遠くから発見しやすく、ブレーキが間に合う例が多かったとする。数字として事故に遭うのは男性60%・女性40%って比率になった…これも「ありがちな」結論ではないか?
 
 「踏切事故被害者の6割が男性」ってのは、1つの数字として重要な意味を持つ。これは認めてもいい。でも、ここから「男性の方が無謀」って結論を導こうと思ったら、少なくとも「踏切に引っかかる人間の割合は、男女差がない」「踏み切り無視して事故に遭う確率は、男女差がない」という2点が前提として必要になる。これが崩れているのなら、全く別の結論…つまり、「実は女性の方が無謀である」ってのが本当かもしれないのだ。
 
 この2つの前提は正しいのか?私が思うに、明らかに正しくない。「踏切に引っかかる人間の割合は、男女差がない」ってのは、多少無理のある仮定じゃないか?あくまで私の印象だけど、朝の通勤ラッシュ時に電車に乗っているのは、男性の方がかなり多い。このことから、「朝の通勤ラッシュの時間帯に、外出している人間は男性の方が多い」って仮定が現実味を持つ。ラッシュ時と昼の時間帯では電車の間隔がベラボーに違うので、踏切に引っかかる確率も段違いでしょ。ということは、「踏切に引っかかる人間の割合は、男性の方が多い」って仮定が成立するのでは。
 
 事故に遭う確率については、むしろ男性の方が低いかもね。平均を取れば、男性の方がスピードあるだろうから。ただ、おそらくは男性の方が「目立ちにくい」と思われるのも確かであり、それは電車の運転手がブレーキをかける距離に深刻な影響を与えるはず。それを考えれば、きちんとした実験でもしてみないことには軽々しく断言できない。
 
 「男性6割、女性4割」という数字を私の見た感想は、「女性も無謀なんだなあ」である。正直、7~8割は男だと思っていた。いわゆる役割分担から来る「踏切遭遇率」が男6割・女4割、「踏切突っ込み率」も男6割・女4割ぐらいとすると、被害者の7割近くは男になる(計算してみた)からね。
 
 仮にここまでクリアして、「男性の方が踏切を無視しがちである」という結論が出たとする。でも、それを「男性の方が無謀なので」と言うのはどうかなあ。踏み切り無視するリスクは確かに同じだ。でも、それによって得られるリターンには、明確な差がある。ぶらっと目的もなく散歩してる時と、大切な商売相手と時間厳守の約束してる時じゃ、時間の価値が違うからね。
 
 結局のトコロ踏切無視で得られるのは「わずかな時間」であり、失う可能性があるのは「命」だ。それを考えれば、「踏切無視=無謀」ととらえるのは間違ってないだろう。でも、「大事な商談に遅れそうなので、つい…」っていう人間と、「いつも見てる連ドラの開始に間に合いそうもないので、つい…」っていう人間を同列にしていいのか?
 
 何をもって「無謀」と言うのかは、実は定義が難しい。何も知らず、何ら根拠もなく「大丈夫だろう」と言って突っ込むのと、そこに危険があると知り、失うものの大きさを知った上で、「それでもオレは行く」と突っ込むのとでは、どっちを無謀と呼ぶべきか?「どちらも無謀」で片付けるのはたやすいけど、そこには大きな違いがあると思うな。
 
 この本の結論はまだ読んでないけど、多分いいこと言ってるんだと思う。「人はなぜ危険に近づくのか」は、私も知りたいことだからね。なにしろ「飛行機は信用できねえ、言葉も常識も通じねえ、カネはかかるし休み取るのも大変」だってわかっているのに、私が海外へ出掛けてしまう理由がわかったかも知れない(笑)。それだけに、かえって「統計データの処理ミス」は気になる。証明ってのは、結論が正しいだけじゃ無意味なんだから。
 
 作者の肩書き見る限り、本当は統計データの処理能力は高そうだ。にもかかわらず、こんな「ずさんな処理」をぶちかましてしまう。「わかりやすい言葉で、難しいけど大切なことを語る」なんてのは、すごく難しいんだよ。本当に良質なモノは、一部の天才にのみ可能なことだと思うね。新書ってのは作者全てにこんなこと要求してるものだから、結果として「結論が正しいかどうかは別にして、過程がずさんな証明」を連発している。それだけに、私としてはいつも眉につば付けて新書読んでるのだ。新書は役に立つけど、あれが全てじゃないよ。
 
 もっとも、「そう言うお前はどうなんだ」と言われたら…確かに返す言葉はないかもね。私の証明なんて、結論も過程もメチャクチャだから。でも、そこはほら、別にカネ取ってないでしょ?正直、たとえ同人レベルでも「カネ取れる」内容だとはカケラも思ってないわけで…って、これは立派な言い訳ですねえ。というわけで、私の文章(特にこの色)読む時は、皆さん盛大に眉につば付けてくださいな。