7月16日2006/07/17 03:24

 北朝鮮が国連非難決議採択後、45分で受け入れ拒否。米国代表が「世界記録だ」などというジョークを飛ばしたそうな。ホントか?戦前の国際連盟の話とはいえ、日本の松岡洋右もそんなもんじゃなかったかと。イヤなたとえだな。
 
 本日は遅ればせながら、中田ヒデの引退について思うところを語ってみようかと。とはいえ、単純に「お疲れ様」「辞めないで」なんて論調にはしませんよ。そーゆーことを語るのは他の人に任せる。
 
 W杯後に辞めるってのは、どうもちょっと前から決めていたらしい。体と技術だけ考えれば「まだやれる」とは思うけど、どうも心の何かが折れちゃったようだ。こういう引退には色々意見があるとは思うけど、私はアリだと思うな。戦う気持ちがなくなるってのは、体がボロボロってのと同様、「ダメダメ」だと思うので。ま、ヒデ以上にダメな奴は山ほどいると思うけど、それをいっちゃあおしまいだからねえ。
 
 W杯のヒデは、少し痛々しかった。「動いてるのはヒデだけ」って状態だったからねえ。でも、ヒデが上がった隙を誰もフォローできない。結果は哀しいまでにカラ回り。そりゃあ泣くわ。本当を言えば、泣きたいのは応援してるコッチなんだけど。
 
 しかし…ヒデほどの選手の引退試合が、アレでいいのかって思いはあるよね。引退試合なんてそんなものかもしれないけど。正直、「綺麗に散らせてもらえなかった」ように感じる。残酷なようだけど、その辺も含めてが「ヒデの限界」だったんでしょ。
 
 ヒデ引退報道は、ある意味スゴかった。スポーツ新聞各紙が、臆面もなくサイト情報丸写し。既存マスコミは全く機能してない。うーむ…ある意味、「来るべきモノが来た」と言わざるを得ないかな。正直言って、余計なツッコミを受けない自分のサイトで引退を宣言するのはどうかと思う。けど、「やっぱりきちんとツッコまれないと、説明責任果たしてないよな」って気持ちにさせる何かが、今のマスコミには欠けてる気がするんだよね。
 
 ただまあ、引退報道ってのはこれでいいような気がする。個人的意見としては、引退の説明責任とか派手な引退セレモニーってのは蛇足だと思う。真剣勝負のグラウンドだけで全てを説明するってのが「漢」だろ。その意味では、ヒデのサイト上の発言すら「余計な言葉が多い」と感じるくらいだ。
 
 ちなみに、私の考える理想の引退とは、原居民様のそれである。私の前では常に元気いっぱいだった原居民様が、あの日だけはあっさりと馬群に沈んだ。疲れとか不利とかとは何かが違う。あれこそが「限界」だったんだろう。そして、原居民様はいつものよーにフツーに競馬場を去った。ただそれだけ。説明もセレモニーも何もない。
 
 でも、あの日の沙田は「特別な日」だった。地元香港馬は香港カップ・香港マイル・香港スプリントを勝ち、「地元の意地」を見せた。競馬場の客は客で、原居民様に不可解なほど安い複勝オッズをつけていた。「勝つのは無理かも知れないけど、3着なら…」って思いがあったに違いない。そこにはダダ甘の「単勝勝負」よりも真剣な想いが感じられた。あの日の沙田競馬場には、原居民様がその生涯成績で「何を」我々に教えてくれたのかが凝縮されていましたね。
 
 いい選手の引退は、とても哀しい。ファンが何かしらの説明や儀式を求めるのも、わかる気がする。でもね。選手にとってもファンにとっても、「真実」はグラウンドの上にしかないのでは。ヒデ引退の理由は色々言われているけど、W杯のグラウンドで見せたパフォーマンスが全てを語っているはずだし、それ以外はどうでもいいと思う。
 
 最後に、ヒデ引退後のサッカー界について。ヒデがいなくなったからって、「弱くなった」じゃ駄目なんだよ。それこそ「お前らヒデの何を見てきたんだ」ってことになるね。その意味じゃ、ヒデの真価は引退後にも問われることになる。偉大な選手ってのはそーゆーもんでしょ。
 
 トラは死して皮を残す。ヒデは引退して何を残したのか?その答えは「残された」選手とファンが見つけなきゃいけないことだね。この問いかけは重たいモノだと思うぞ。