6月15日2006/06/16 03:16

 日本は「絶対やっちゃいけない」負けをやっちゃいましたな。相手がクロアチアならまだいい。次回W杯予選からアジア入りする豪州相手に、「暑さで脚が止まって」負けるとは。
 
 次回以降のW杯予選がどーなるのかはまだわからないけど、暑いところで戦うことも想定しておく必要がある。そこで「暑さにモロい」ところを見せてどーすんだ。最低でも今後4年、日本は豪州に「暑けりゃ勝てる」って侮られることになる。あれならまだ「高さにやられた」って負け方の方が良かったね。相手の長所なんだから。
 
 ま、直接の敗因は「選手交代の遅さ」だろうな。明らかに選手の動き鈍ってるのに、交代させる気配すら見えなかったから。「そーゆー監督だ」って言えばそれまでだけどね。ただ、選手側から「代えてくれ」ってアピールしても良かったのでは?
 
 選手個別にも言いたいことは多いけど、それについて語るのは私の仕事じゃないでしょ。それよりも、ここは1つ言っておかなくちゃいけないことがある。ここで「あーあ、駄目かぁ」と言ってはいけないんだと。野球のWBCで「死にかけた」時と違い、まだやるべきことはあるんだから。
 
 そりゃあね、豪州は対戦相手の中で「一番格下」であり、そこに負けた国がクロアチアだのブラジルだのに勝てるとは思いにくい。けど、それを承知の上で「それでも勝つ!」って思わなきゃダメである。勝負事ってのは、「勝つんだ!」って気持ち切らしたらアウトなんだから。
 
 日本人ってのは、モーレツな「序列主義」である。勝負事イコール「序列の確認」って意識が強い。「強い奴が勝つ」って思想だね。けど、私が思うに、そんなのは嘘っぱちである。強い奴は確かに有利だ。けど、有利すなわち勝ちじゃないし、不利すなわち負けじゃない。気持ちを切らさずにきちんと勝負している限り、勝つ可能性はある。確率は低いけど。
 
 何で日本人はコレができないのか?精神的にひ弱だからだろう。勝ち目が薄いことを心底認め、それでもなお勝利を信じ、それでやっぱり負けるってのは辛いことだ。ついつい「弱いんだから、負けても仕方ない」と考える。あるいは、「俺たちは強い」と、根拠のない自信(というか幻想)に逃げ込む。言っては何だけど、そーゆー輩は山ほど見たことがある。実は私自身もそうだったりするし。
 
 不利を承知の上で勝利を信じる。言うは易く、行うは本当に難しい。でもねえ。「勝負する」ってのは、コレができることを言うんだと思うな。大抵の場合負けるので、モーレツに苦い思いをして精神的にズタボロにされる。けど、それが出来ないってコトは、勝負してないのと同じ。勝負しないってコトは「負けないための最良の方法」だけど、絶対に勝てない。
 
 そりゃあね、クロアチアはまだしも、「ブラジルに勝て」ってのは無茶苦茶だと思う。けど、「上を目指す」ってのは、そんな無茶苦茶を成し遂げるコトじゃないのか。一般人にコレを要求するのはどうかと思うけど、「代表を背負う」ってのは、「勝てそうもないからって逃げたりしない」ってことじゃないのかね。
 
 私が思うに、代表を応援するってのは、「全額賭けてスッテンテンになっても後悔しない」「相手がどんなに強くても、負けたら悔しいと言える」ってことである。応援対象が単に強いってだけじゃ、こんな領域には達しない。プラスαが絶対必要だ。それが代表を背負うって覚悟であり、代表を応援するって覚悟だろ。
 
 相手のブラジルにしたって、代表を背負って戦うのは大変なはずだ。自分達が強いと思っていても、負けるはずないと思っていても、それでも震えて逃げ出したくなる気持ちがどっかにある。それが「代表の重み」ってもの。それと戦えないようじゃ、代表背負う資格なんて無い。そして、そんな「代表」と同じ気持ちに耐えられないようじゃ、代表を応援してるなんて言えないね。
 
 競馬に限定されるけど、私は「代表を背負った」存在が、その誇りを賭けて勝負に挑む姿を見てきた。だから、一応は「代表を応援する」気持ちは多少わかると思う。正直、楽しいとか素晴らしいとかだけでは片付けられないよ。まず、見てるだけでコッチも怖くて震えて逃げ出したくなる。おまけに「単に応援するだけ。いてもいなくても同じ」ってキョーレツな無力感が襲ってくるし。
 
 それでもね、自分が応援してる代表が「アイツも怖くて震えているんじゃ」「諦めて勝負投げちゃうんじゃ」って考えたら、もう駄目である。少しでも傍にいたくて仕方なくなる。世界の果てまですっ飛んでいくなんて、負担でも何でもない。結果として、「何でオレはこんなところにいるんだ?」と考えながらスタンドに立ってることになる。
 
 ついでに言うと、代表が「勝った・負けた」ってのは、実はどーでもいいことである。勝ったからって好きになるワケじゃないし、負けたからって見捨てられるモノじゃないんだから。ただ、もし許せないモノがあるとすれば、そりゃあ何と言っても「勝負を投げること」である。そりゃあ、勝負を投げれば気楽である。けど、それを言ったらコッチだって「応援しなけりゃ気楽だ」ってことになるじゃないか。「勝ち負けはどーでもいい」ってのは、絶望的だろうが何だろうが諦めることなく全力で勝ちにこだわり、応援する側もそれを信じて疑わないからこそ、初めて言えることだと思うね。
 
 私はフジヤマケンザン様を尊敬している。香港国際カップに勝ったからじゃない。「日本代表を背負うとは」何なのか、それを応援するってコトは何なのか、この私の頭に叩き込んでくれたから尊敬しているのだ。サッカー日本代表も、願わくは「あの領域」にたどり着いて欲しい。それが代表ってモノだろ。