4月17日2006/04/18 02:13

 本日のネタは、地味ながら「スゴい」ネタである。正直、「今年1番の大ニュース」筆頭候補である。ホリエモン逮捕なんて、コレに比べたら驚くようなニュースじゃない。
 
 知ってる人は知ってるけど、私は日刊ゲンダイを愛読している。主に競馬目的で。とはいえ一応他の記事も読むので、この新聞がどーゆー新聞かはよーく知っている。知らない人に説明すると、「何にでもケチをつける新聞」である。私はこの新聞の主張に同意しない部分も多いんだけど、まあ言いたいことはわかるので、とりあえず不愉快ではない。
 
 先週の土曜日、私はいつものように日刊ゲンダイを買った。皐月賞を予想するため。皐月賞は手痛い目に遭ったんだけど、それは今回関係ない(苦笑)。この日は皐月賞予想が前面に来るので、本来1面に来る記事は2面に来る。そこで私は、トンデモナイものを見てしまいました。
 
 私はよく知らないけど、日刊ゲンダイってのは他のマスコミから「閉め出された」存在らしい。記者クラブに入れてもらってないのだ。それだけに、他のマスコミとは死ぬほど仲が悪い。何かあるたびに「大マスコミは腐敗してる!」と、他のマスコミを批判する。読売・朝日・NHK・日経&テレ東、その他矛先を問わず。それは永遠不変だと固く信じてきた。
 
 この日の2面記事はお得意の「竹中総務相批判」。竹中大臣が「放送と通信の融合」ってお題目でマスコミ規制緩和に乗り出したのが気にくわなかったようだ。これは良くある話。この新聞買っていれば、ゲップが出るほど読める。ところがだ。こんな「大マスコミ叩き」に格好の記事だというのに、ついに大マスコミ批判を持ち出さなかった。言ってみれば、TV局を擁護して見せたのである。
 
 日刊ゲンダイがTV局を擁護する…こんなことあっていいのか。ブッシュ大統領がフセイン元大統領を褒めるとか、中共や韓国の指導者が靖国神社参拝を褒め称えるのと同じくらい、「あり得ないこと」だと思っていたんだけど。唖然呆然愕然である。コレに比べれば、石橋の皐月賞制覇なんて驚くには値しない。高田の皐月賞2着はまだ予想できても、コレは予想できないよ…
 
 そりゃあね、記事の趣旨は「竹中批判」だ。マスコミの構造改革ってのは日刊ゲンダイにも確実に波及するから、「対岸の火事」と言ってはいられないはず。しかし、私は「それでも」大マスコミ批判を続けるのがこの新聞だと思っていた。実際、竹中大臣を大いに批判しつつ、同時に大マスコミを罵倒するのは可能でしょ。時間さえかければ、私にもそれぐらいの「作文」書けるような気がする。
 
 何でこんなコトになったのか。大マスコミ側から日刊ゲンダイに「助け合おう」なんて言うワケがないので、一方的に日刊ゲンダイが大マスコミにすり寄ったってことだろう。それを「堕落した」と受け取るべきか、それとも「現実路線に目覚めた」と受け取るべきかは微妙ではあるけどね。いずれにせよ、ひょっとすると日刊ゲンダイは生まれ変わろうとか考えているのかも知れない。
 
 日刊ゲンダイは、いわゆる「団塊の世代」向けの新聞である。青臭い理想論振りかざし、何事にもケチをつけ、論調は左寄りのくせにモーレツな国粋主義。強いて言うなら「ライバルと比べてエロ面が弱め(ただし、名作「やる気まんまん」がある)なのが「らしくない」ってなぐらいか。正直言って、他の世代にどれだけウケているのか考えちゃうところがある。
 
 こういう「団塊の世代向け」のものは、今現在滅亡の危機に瀕している。この世代の定年退職が近いからだ。その影響をモロに被りそうなのが、この日刊ゲンダイでしょ。帰宅途中の通勤電車で読むための新聞だからなあ。同様にヤバいって噂のある「ア○ヒ芸能」のような週刊誌はまだ「女房に隠れて読む」ってコトがあり得ても、日刊ゲンダイは厳しいでしょ。
 
 日刊ゲンダイが「ヤバいんじゃないか?」って思わせたのは、実は今回が最初じゃない。やや唐突に囲碁・将棋欄を縮小しやがったし、目玉連載「やる気まんまん」の後釜を育成できなかったからって「過去の載録」って反則ワザ使ってくるし…「何とかして団塊世代限定から脱却しようとしてる」のがミエミエなんだけど、私にはうまくいってるように見えない。
 
 私にしてみれば、これはちょっとだけ哀しい話である。競馬に関する情報は、この新聞で仕入れるのが習慣だからね。ただ、正直困るのはそれぐらい。強いて付け加えるなら、クロスワードパズル(難易度が適度だった)が無くなると寂しいなあって程度。正直、「換えが効かない」存在じゃない。その点ではファンファーレ(その昔あった競馬週刊誌)廃刊の方がよっぽど…
 
 たかが1回大マスコミ批判をしなかったぐらいで、ここまで言うかって?言う価値がある。大マスコミ批判は、日刊ゲンダイの「存在意義」だと思うので。これを止めてしまったら、「魂売り渡した」のと何も変わらない。他がどうなったとしても、貫き通さなきゃイケナイものじゃないのか。
 
 繰り返しになるけど、私にとって日刊ゲンダイの「魂」は、どーでもいいものである。大切なのは競馬面だけ。それ以外は心底どーでもいい。でも、何であれ「魂が枯れてゆく」様を観るのは哀しい。世の中にはそーゆーものがあふれかえってはいるけど、まさか日刊ゲンダイまでがその仲間入りをするとは。「そうだろうなあ」と思うのは事実だけど、改めて直面するとクるものがありますね。
 
 どーでもいいだけに、私は今後も日刊ゲンダイを読み続けると思う。私にとって大切な部分は何も変わってないから。でも、今後この新聞の読み方が変化するのは間違いない。私に言わせれば、日刊ゲンダイはこの日「死んだ」のだ。それぐらい衝撃的な記事だったと思うな。

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