2月9日2006/02/10 01:31

 今週ではなく来週の日曜日、同人誌即売会コミティアがある。フェブラリーSの日だというのに。今のところの予定では、掛け持ちしようかと(笑)。バカですなあ。つーわけで、事前に即売会のカタログ仕入れました。
 
 この即売会のカタログは、単なるカタログではない。読み物が充実してる。まあ大半は即売会の宣伝色が濃いものなんだけど、「物書き」には参考になるコラムなんかもある。今回は、その中から「私が感じ入った」部分をお届けしようかと。
 
 今回感銘したのは、「コミックビーム」副編集長のインタビューにあった、「ユートピアの悲しみ・憂鬱か、ディストピア(注:ユートピアの逆)の楽しさ・希望を描けなくてはいけない」という言葉。これ自体引用らしいんだけど、かなり深い言葉だと思うな。
 
 以後は私の解釈を。ココで言う「ユートピアの悲しみ・ディストピアの楽しみ」とは、どちらでもないフツーの世界に住む我々が、「共感」できるものを指すのだろう。ユートピアの悲しみが「ヒマでヒマで退屈」だったら単なるイヤミだし、ディストピアの楽しみが「年に1度の白いご飯」じゃ、悲惨さを強調するだけ。もちろんこれらは演出次第でどうとでも受け取れるけど、大雑把に言って「状況を強調する味付け」ってだけなら、意味は薄いんじゃないかな。おそらく、言いたいのはそーゆーことじゃないだろう。
 
 ここから先は皆様各自で考えてもらうとして、私が思ったのは「このサイトはそれを達成できているのか」ってことだ。ここの趣旨はコラムに限りなく近いので、小説(フィクション・ノンフィクションを問わず)みたいな意味で「読ませる」ことは全く考えてない。とはいえ、「読者の心に響く」モノを追求するという点では同じハズなので、当てはめてみる価値はあるんじゃないかな。
 
 当ったり前だけど私は現実世界に生きているわけだから、ここの話題も「現実に立脚した」モノばかりである。一応は。実際、ココの題材は全て「その気になりさえすれば、誰でも知ることが出来る」ものばかり。ということは、素直に苦しさ・楽しさを語っているだけで「リアリティ」があることになる。コラムってものの性質上、それ以上でもそれ以下でもないはずだ。
 
 そう考えると、「素直に感じたことだけ書いていればいい」ってことになるけど、それだけで本当にいいのか。このサイトは「他人がついて行けないこと」を書くっていう趣旨があり、おそらく世界中の誰が読んでも「この話題には付いていけないよ~」って話が1つ以上あると推測している。ぶっちゃけた話、下手なマンガよりも「浮世離れしてる」ワケだ。
 
 そんなものを題材としている以上、「フツーと同じ」やり方では駄目なんじゃねえのか?こういう思いがどこかにある。「フツーの描き方では伝わらないことを扱っているんだから、もっと工夫すべきでは」って疑問・苦悩は常ににあるのだ。ただ、日によって「その通りだ」と思ったり、「いやあ、そんなことないでしょ」と思ったりするわけだけど。
 
 私の見たところ、世の大半のブログは「内輪向け」に書いてあり、一見どんなに浮世離れした話題を扱っていても、「読者にはそれが通じている」って安心感があるような気がする。それが悪いとは言わない。むしろ当然のことだ。ただ、それがヌルい環境であることは否定できないね。
 
 「内輪向け」から「世間向け」への脱却ってのは、創作における一大テーマだと思う。漫画家や作家を志す場合、まず最初に乗り越えるべきハードルだね。まあ大抵の人間は乗り越える意志を持たないか、乗り越えることが出来ないんだけど。私が「乗り越えるつもりがない」のか「乗り越えられない」のかは…我ながらビミョーとしておこう。
 
 ただまあ、「いいものを書きたい」って欲求はあるので、時々無意味に高いレベルに挑戦したくなったりもするわけだ。中身伴ってないけど。そーゆー緊張感が、ここの更新頻度がさほど落ちない理由の1つかな。それが全てじゃないけど。
 
 ここは本当に好き勝手なことを書き散らしてるので、ある意味では「ユートピア」だと思う。ということは苦悩っぽいコトを書いた方がいいような気がしたので、そーゆー感じを出したつもりなんだけど。うーむ、これはこれで何か違う気もする…文章書くのは難しいねえ。もっとお気楽路線で行った方が良さそうだ。でも、とりあえずはちゃんと公表しますか。書き直してるヒマもネタもないんだから(笑)。